コロナ禍での新生活でめっきり研修や出張やらもWeb形式になってしまった.
人とは勝手なもので,近くにあるものは大切に思わないくせに,遠くなると急にそれを大切に思うようになる.
イベントごともそんな感じで,定期的な研修とか遠出の出張はめんどくさいなあ,と思っていたこともあったが,今となってはそれはそれで大切な時間だったんではないか.
そこで入社以後の思い出深い研修や出張のことを振り返ってみる.
●入社1年目
新人研修が4月に2週間,10月ごろに1週間ほどあった.
4月研修は都内の本部で講義を行っていたものの,宿泊場所はなぜか中央線の阿佐ヶ谷.それも阿佐ヶ谷駅のホームがホテル窓から目の前という謎の立地.
基本的には研修での講義やGWはおまけで,夕方以降が本番だった.もう,これでもかというぐらい飲んだ.飲み会の後も,ホテルの誰かの部屋に行って大体2:00頃まで飲んだ.なぜか爆音でFF6のラスボスの曲を流しながら飲んでいたこともあるw
クラスや班のメンバーも仲良かったように思うし,今でもメンバーとは交流がある.上京の心象風景の一つとして,朝,みんなで本部へ向かう桜満開の道をたまに思い出す.なんやかんやいうて若かったよなぁ.
研修後は新宿の宿に泊まり,翌日神奈川県の寮に移動.まあこの寮も8か月後には出ることになるが…寮生活はそれはそれで面白いことも多々あったがまた別の機会に.
10月研修はなぜか幕張.
正直この研修の記憶は薄いが,班のメンバーで統率が取れておらず,途中からやや険悪気味だったイメージがある.
まあ,お店を借り切って盛大に飲んだこととか,GWが終わってメンバーでスーパーに買い物を行った時の夕暮れだとか,印象的なこともあったのだが.
最終日は仲のいい同期の家に泊まりに行って朝まで飲んだ.同期は次の日,彼女と海外旅行だったらしいが…
あとは年明けに千葉で1泊の研修があったが…関連会社の若い人たちもおり,会社によっては女性も多いことから,非常に合コンチックだったことを覚えている(実際この研修がきっかけで付き合い始めた同期もいる).
●入社2年目
この年はあまり大きな研修はなかったのだが,営業研修と英語研修があった.
営業研修は2週間.人によってそれぞれエリアが異なり,私は多摩地区(京王線.中央線沿いが非常に多かったように思う)がメインだった.私のエリアは営業と言っても飛び込み営業だとかそういうのではなく,ベテランの方に付き添ってオーダー対応だとか軽いクレーム対処だとかそういう業務に立ち会う程度でまあ非常に緩かった※.
※エリアによっては飛び込み営業もあったらしい,もっとも,まじめにやった人は少ないだろうが…
まあでも,冷凍食品の工場の中の設備を見たりできたのは楽しかったし,老夫婦の家でお菓子を頂いたりもした.
車での移動の途中,休憩に多摩川沿いのコメダコーヒ(多分この時初めて入った)に連れて行ってもらったのも印象深い.
他の研修と違って泊りがけではなかったので,朝早く起きて毎回異なる営業所に出社することが辛かった.打ち上げは関連会社の研修生たちと池袋で.これも合コンチックでちょくちょくそういうのがこの頃は多かったような.
英語研修は多摩地区の某駅前ホテルで4日間.
研修といっても講義も多くて大学に戻った感じ.アメリカ人の先生が完全に面白く,緩い雰囲気で非常によかった.
ただ立地が幕張以上に何もなく,飲み屋もかなり限られていた.あまり飲んだ記憶がない…
あとは研修ではないが,色んな講義を受けて単位を稼ぐ,みたいな取り組みもこのころにあった.1か月ほど,指定の日に様々な講義が開講されて,所属ごとに必修・選択科目が設定されそれを消化していく.大学とほぼ同じw
給料をもらいながら(安月給だったが)いろいろ勉強できるなんてなんて恵まれていたんだろう.
会場は都内の某所で神奈川からの移動がめんどくさかったけれど,15:00ごろに講義が終わって同期と一緒に帰るとき,途中の吉祥寺でゲリラ豪雨だか落雷に遭ったことがある.井の頭線が案の定止まり,”仕方なく”駅前の立ち飲み屋で明るいうちから一杯したときは最高だったなあ.
電車が止まっているからね,やむを得ない,やむを得ないよね,と言いながらビールを何杯もあおっていた.
●入社3年目
この年は後期研修がメイン.期間は2週間で,基本的には同期一同の研修はこれが最後.場所は都内の閑静な住宅街.緑の多い研修所で,大学のキャンパスに雰囲気の近い施設(というか講義棟とかグラウンドとか見た目はほぼ大学)で実施された.
宿泊場所となる寮もこの中にあった.風呂はなぜか共同浴場.
はっきり言って最高で,同期の多くを"この研修で俺の青春が終わった"と言わしめるレベル.
私はじゃんけんに負けて班のリーダーをしたのだが,メンバーは個性的で全くまとまらず,まあ大変だった.
それでも毎晩何かしらの形で飲みに行ったし(ただ場所柄物価が高かったが…),22:00頃までGWの準備をしてはお好み焼き屋でお好みを焼いていた(火が強すぎてお好み焼きが燃える事件も発生したw).
研修の後半はゆるい講義が主体で完全にまったりムード.土日は帰宅が許されたので,翌週同期同士でつけている梅酒を持ち寄って試飲会を休憩室で開催したりした.この取り組みは研修後もプライベートで続き,鎌倉の同期宅の庭(非常に立派な家だった)で集まって昼間っからバーベキューをしつつ梅酒の飲み比べをしたりした.これは余談.
夜に誰かの部屋で飲むのも恒例.寮は4人1部屋,二段ベッドのドミトリーを1人で使う形式なのだが,みんなベッドに各々座り込んで酒を飲んでいて,上のベッドから下界へ立体的に会話を楽しむという斬新な光景.
同期全体の飲み会の後,中のいいメンバ10人くらいで飲み,スーパーで買った酒のつまみを外のベンチで蚊に刺されながらうだうだ飲んでいたこともあった.だべっていると同期が集まってきて騒がしくなるという…確かクレームが出たはずだが…
寝る前に点呼を兼ねてメンターの部屋へサインをしに行く必要があるのだが,私は一回もサインしたことがなく,代筆が横行していた.さすがにメンターも気づいていただろうが大目に見てくれていたのだろう…
最終日の飲み会は店を借り切って立食だったがもう無茶苦茶.一気飲みをしたのもこの時がラストだわ.帰った後の寮はさらにカオスで,みんな酒をもってうろうろしている,トイレではずっと洋式便器に首を突っ込んで動かないやつもいたw
集合研修のラストやからまあそうなるわな…帰りは横浜で男4人しんみり飲んだ後,なぜか京急で横須賀の同期の家に泊まりに行った.
あとこの年は秋に大阪で学会があり,同期と合流していろいろと観光した.
後期研修後に,同期の一部ではあるが集まるということで,割と盛り上がる.
昼間,梅田のミュンヘンで地元の友人(当時学生)と飲んだ後,夕方に東京から来た同期と合流してミナミの串カツ屋で終電まで飲んだり,私の地元を紹介しながら昼の大阪城に観光へ行ったり…
メンバーの帰りの電車が遅れそうということで,梅田地下街をダッシュしたことも思い出深い.
翌年の北海道と合わせて私の中で最も思い出深い学会の一つとなっている.楽しかったなぁ…TT
しばらくは学会の際に予定のない同期で適当に集まって観光する行事が恒例化し,我々はこれを修学旅行と言っていた.
●4年目~
ここからはイベントごとが少なくなっていくのでまとめて.
まずは北海道修学旅行.
このころはリクルータも兼ねていたので学会発表後は採用活動をしたりしたのだが,懇親会でタダ飯にあやかった後に採用チームですすきので飲んだり,研究部署のメンバーでビール園に行ったり,お決まりの同期で回転ずし食べた後アイス食べに行ったりと毎日が(遊びで)非常に忙しかった.
夜通し同期と過ごしたのもこの時が初.借りた自転車で夜の札幌を駆け抜けたり,公園をあてどなくさまよったりしていた(シラフで).今考えれば無茶苦茶なことしてたな…
この年以降,同期メンバで宿を借りて同じ部屋で寝たりして,朝から観光することになる.もう普通の旅行.
ついでにリクルータの話が出たので.
秋ごろからは神奈川と京都を行き来する生活が始まった.2年間.
自分が意外とこういう活動が嫌いでないことが意外だったのと,肩書を変えて古巣に帰ってこれるのは非常に感慨深く.
出身研究室にごあいさつした後,学生さんに自社のプレゼンをして秋の京都をぶらぶら歩きながらプレゼンの反省をしたのもいい思い出.
翌年は岡山・富山修学旅行.
岡山は部署からかなりの人数が参加したので,飲み会(途中で別部署の飲み会に何度か乱入)が激しめ.
富山では同期メンバーで飲み会に行った程度.締めのブラックラーメンが非常に…だった.
翌年はニューオーリンズに行く機会があったが,私一人だったのでのんびり.
昼間っからビール片手にジャズ聞いて,気が向いたらチップ渡して…と天国のようだった.
夜には日本人メンバーで飲みに行ったり,Preservation hallへ行ったり,海外の学生さんと生ガキ食べに行ったとか.あとはミシシッピ川クルーズでビールを浴びるほど飲んだりとか.っていうか入社後飲んでばっかやな…
大体これで5年間.これ以降は出向が入るのでまたの機会に.
30歳ちょいすぎまではちょくちょく楽しいイベントがあったりしたんだなー.