車輪 -401回記念更新に代えて-

mojataku2009-03-14

第一話:http://d.hatena.ne.jp/mojataku/20090313
 
中3の受験勉強の合間に、
地元の子供会のイベントで京都の山へキャンプに行った。
その時に触れた自然や、友人と眺めた日の出をしばらく忘れられなかった。
どこか懐かしい、潤むように輝かしい夏がそこにあった。
そして、自然の素晴らしさを肌で感じた直後に見た、あの深夜放送。
四万十川の存在はその時の僕の感性に間欠なく作用していた。
 
受験も終わり、することのなかった僕は、中学生最後の春休み、
お幼馴染の友人と地元の川の源流に自転車で行ってみることにした。
テレビで見たようなあの源流の光景がそこにあるかもしれない
地図を見ながら、淀川を河口からたどって一番遠い源流地点に向かおうとしたのである。
意気込んで午前3時に家を自転車で出発したものの、
或る重大な事件と徹夜の疲労に見舞われ、大阪と京都の県境あたりで挫折してしまった。
大阪へ引き返す時にみた虹を今でも忘れない。
 
旅という観点からすると、それからの高校時代は不毛の時代が続いた。
部活に精を入れだしてしまい、なかなかまとまった時間が作れなくなったのである。
しかし、源流行への挫折からちょうど二年後の春休み、
自転車で清水寺に行くという行為に成功した。
あの時に挫折した幼馴染と、往復90 kmをママチャリで走り切った。
 
これまでは、旅に対して受動的だった。
旅行で起こる何もかもが、予定調和の内側にあった。
しかし、この時点から能動的になった。
自転車で移動する冒険性や旅行性、そして目的を果たし終えたときの達成感は、
確かに僕のなかにあった旅の車輪を自力で回転させるように変化していった。
四万十川の映像を見てから二年。
その頃は水車のように、
想像の中の四万十川の水力で僕の中の旅の車輪は回転していた。
源流行の挫折でも、旅の車輪はなお、他力本願ではあったが回転し続けていた。
そして今回自転車で清水寺へ行くことに成功したことは、
旅の車輪にチェーンとペダルが私と直接接続されたことを意味していた。
 
僕の旅人生はいつ始まったか。
最初に述べたとおり、正直僕にもまだ分からない。
四万十川の映像を見た時点かもしれないし、
子供会のキャンプに行きはじめたころかもしれないし、
源流行に挫折した時点なのかもしれない。
 
ただ最も確からしいことは、
自分が旅に対して能動的になり、積極的になったその一時点が、
すなわち清水寺にママチャリで行くことに成功した時点であるということ。
それは、自然に抱くみずみずしい感性と、
己の力に挑戦する行為が有機的にマッチした、
かけがえのない瞬間だったということ。
そして、その旅と思われる行為が以後も連綿と続いて、
大きな輪を描いていくだろうということ。
 
こうして僕の長い旅が始まった。
 
つづく