旅のはじまり -400回記念更新に代えて-

mojataku2009-03-13

旅人生のはじまりをどこに置くのか、ということに意味はないと思う。
そもそも、僕自身、旅の意味がわからない。
辞書的には旅と旅行は全く同一の意味だけど、
旅、という響きには一種の趣というか、壮大さというか、
静かに息づく生命の力強さというのが感じられる気がする。
 
最近、昔の旅を懐古することがよく増えた。
近場の琵琶湖や淡路島をさっと自転車で一周したことでさえも、
今では悠久の旅をしていたかのような幻となって、躍動的に脳裏スクリーンに描かれるのだ。
中でも一番輝いて思えるのは、一体どうしてなのか、四国を自転車で一周したことなのである。
高々11日間、900 km足らずを自転車走っただけの短い夏だったのに、
妙にみずみずしくて、一つ一つの場面が物語のようで、
酒に酔った時のような情緒豊かなモードに入ると、四国の時のことを思い出して泣きそうになる。
 
おそらく、まだ19歳だった僕にとってそれは大冒険だったのだろう。
チャリ旅行に何をもって行けばよいのかも分からなかったのだろう。
どれだけ夏の四国が熱いかとか、日差しが強くて肌がやけどするくらいだとか、
それすらも知らずに、あの山の先にある、あの川を思いうかべつつ、
期待と不安ばかりを胸に詰め込んでペダルをこいだりしていたのだろう。
 
思えば当時、僕にとって日本は凄まじく広大な土地だった。
高校までほとんど大阪を出たことのない僕にとっては当然だった。
でも、しっかりと旅に対する憧憬は確かにあった。
そしてその憧憬のすべてのルーツは、川だった。
 
地元には大きな川が一本横たわっていたので、少年時代の頃から川にはお世話になった。
広い河川敷はサッカーをするのに最適だったし、
ひょうたん池には小魚や大きなフナや沢ガニがウヨウヨいて捕まえたりしたし、
石河原には水きりに最適な平たい石がたくさん転がってた。
こうして何の疑問もなく幼少期を川で遊んで過ごしたが、小学校高学年の頃から、
「この川の河川敷の道をずっと行くと何があるのだろう?」といったことをふとした時に考えるようになった。
クラスのメンバーと一緒にずっと川を河川敷を自転車で走ってみようぜ、
と春休みに話していたことがあったが、
小学生によく備わっている「約束を忘却に葬る」というわざによって、実現することはなかった。
 
中学生の頃になるとまともに地図を読むようになり、
どうやらこの河川敷をずっと先に行くと京都に行くらしい、
しかも京都のさらに奥にいくと、淀川の湧き出る「源流」なるものがあるらしい、ということを知った。
河川敷の先に何があるかを知ってしまった僕は、源流がどういったものかもわからないまま、
中3の受験を迎えるまで「この河川敷の先」に興味を忘れ、
地元の河川敷で友人たちと日が暮れるまで遊び暮れていた。
そう、あの夜が訪れるまでは。
 
いまでもあの新鮮な衝撃を覚えている。
熱い寝苦しい八月の残暑残る深夜に見たあの番組。
受験勉強のために中2の終わりから塾に行きはじめた僕は、
その後受験勉強の大詰めを迎え、連日連夜、夏期講習に通い詰める日々を続けていた。
その日も家に帰ったのは夜10時頃で、母の用意してくれたごはんをさっさと食べた後、
だらだらとテレビを見ながら夜更かしを繰り返していた。
 
午前三時。
塾の課題を終え、僕は一息つくためにテレビをつけた。
しばらくして関西テレビの深夜番組がすべて終わると、
信じられない光景が目の前に飛び込んできた。
 
僕にとって川は汚い、淀んだものだった。
しかしそこには、ガラスのように澄んだ川。
深い森林に流れる一条の清流。
岩場から湧き出てコケを伝いながら流れを生み出す生の営み。
僕は衝撃に我を忘れていた。
僕がこれまで心から求めていたものがあって、それをついに今夜知ることができた気がした。
そして番組の最後、険し岩場に立つ、一つの看板が映し出された。
四万十川源流地点」
 
思えばその時、旅の車輪が回り始めたおとがした。
 
つづく