物憂し

秋が本格的に訪れたようです。どこかしら物憂いです。
色々考えだすと、夜もあまり寝れません。
 
人生とはどうやら季節が巡るのと似ているようです。
例えば僕の場合、
〜小4 春
小5〜小6 夏
中1〜中2 冬
中3 春
高1〜高2 夏
高3 秋
B1 春
B2 夏
B3 冬
B4〜M1 夏
M2〜 秋
という感じに。
 
具体的に説明しろと言われれば難しいのですが、
例えばあの頃を振り返ってみろ、と言われて振り返ると、
ああ、あの頃はこんな感じだった、という、
季節感というか、色のトーンとでもいうか、
なんとなく固有の印象がついて回らないですか。
そしてそれが、決して完全ではないけれども、
季節のように巡っているなぁ、と最近感じるわけです。
バイオリズムというやつにも似ているのかもしれません(やや強引)。
 
春はまだどことなく寒いけれども、何かしら起こりそうな、期待に満ちた季節。
夏は躍動感にあふれて、すべてがキラキラした印象の季節。
秋は暑さも落ち着いて、順調だけども、どこかさびしさを覚える季節。
冬は試練に耐えしのぶ季節。
 
最近の出来事は正直もう少し時間を置かないと客観的に評価できませんが、
季節が変化するのは例により約1〜2年のスパンのようですので、
順番的にはどうやら秋〜冬にかけての印象なのかもしれません。
一番幸せであるはずなのに、なぜこうなのかな、
と考えたりするわけですけれども、
どうやら、次のようなことの為ではないかと考えるようになりました。
 
今までは人生の変化がすごく緩やかでした。
関西という安定した場所をベースに、
普通の人が描くように小学生から大学生まで、
紆余曲折はあったけれども、24年間かけてたどることができました。
先に述べたような季節の変動はあったけれども、
それでも、ほとんど予定調和の人生だったわけです。
 
ただし今はどうか。
学生の身分を捨てたとたん、
上京、社会進出、結婚、出産という、
人生の一大イベント群を2年程度ですべて経験することになる。
2年といえば、高校すら卒業できない期間じゃないか。
自分で選んだ道ではあるが、
あるがままの流れに身を任せた結果でもある。
この変動に、正直自分でも追いついていない。
 
人生に秋や冬があるのは、夏があった反動なのだと思う。
春や夏があるのは、冬に整理をして、助走した結果なのだと思う。
今はどうやら助走期間のようです。
激しすぎた変化を緩和するために、自分で一つ一つ整理して納得するための。
スパン的には来年〜再来年あたりに春が来るはずなのだが、
それまでにいろいろ整理して、思う存分春を満喫したいものです。
あまり無理をせずに、なるたけ穏和に、
来年の春に生まれてくる子供を迎え入れたいです。
 
それにしても、これまではなかなか充実していたと思います。
色々と振り返ってみたとき、
何気ない、当たり前の生活の中に幸せがあるのだということを改めて思います。
夏が来ても冬が来ても、この気持ちだけは忘れたくないものです。