眠れぬ夜に思う

なんだかこの季節,たまにそわそわして眠れないことがある.昔からそうだ.

 

眠れず,布団にかぶさってぼんやり思うのは,過ぎ去った日々の長さのこと.

なんだか,ついこの前に思うようなことでも10年,20年経っていることは珍しくない.場合によっては30年近く経っていることすらある.

 

人生って意外と短いのでは,と思うけど,現在に至るまでの日々を再び思い返せば,いくつもの層になって想起される重厚な記憶がある.

小学校,中学校を卒業して,高校受験もした.高校や大学ではそれなりに楽しく過ごした.

就職もして,結婚もして,子供も授かった.子供もすくすく成長して,私が記憶する時代に差し掛かっている.

何となく,あぁ,なんだか遠くまで来たのかなぁ,という気持ちになる.

 

天井を見つめながら次に僕はこう思う.

10代,20代のころは人生は延々と続いていくように思えていた.

ところがその半ばを過ぎようと,もしくは過ぎた今となっては,自分の人生が終わる漠然とした不安が纏わりついたシーンが,何かのいたずらのようにぼんやり浮かんでくるようになる.

いつもではない.こういう眠れない夜に窓の外の風の音を聞きながら,ただぼんやりと思う.

 

桜が散って,葉桜が初夏の訪れを告げる頃に亡くなった祖母のことを思い出す.

死というものは,いつも誰のそばにもぴったりと寄り添っている.

 

精一杯生きているときに死をそばに感じることは無い.

しかし,確かにそれはそばにいる.

若くして亡くなった,恩師や友人の顔を思い出す.

 

私はいつ頃,どこで,どのように死ぬのだろう.その瞬間,私はどう思うのだろう.

まだやりたいことがあって悔しむのだろうか.

満足に潔く逝くのだろうか.

それともそれに気づかないまま,別のことを考えているのだろうか.

今は,死ぬ瞬間の苦しさよりも,私はその時どう思っているのかがとても気になる.

 

春を告げる風がびゅうびゅうと鳴っている.

若いころ,同じように眠れない夜,近い将来への不安があった.

せっかく咲いた桜の花は,この夜に散るのかもしれない.

結局,どれも同じなのかもしれないな.