社会人以後②

この記事ではだいたい入社5~6年目以後,10年目くらいまでを書こうと思う.

このあたりの期間まではまだ若手としての扱いで,比較的無茶苦茶をしても大目に見てもらえるギリギリの年代だったが,我慢できないような感情だとかそれに惹起される脈絡のない行動だとかはなくなり,徐々に落ち着きのようなものは付き始めていたように今となっては思う.

 

 

●入社5~6年目以後,出向時代

 

この時代には出向があり,自分の業務内容や生活がガラリと変わる頃だった.元部署には40人規模で,これでもかというぐらい盛大な送別会を催していただいた(リクルータ時代にお世話した学生にも来てもらった).私個人でこれほどの送別会を開いてもらったのは後にも先にもこれが唯一であり,今でも感謝の気持ちでいっぱいである.

出向後,初めの方は辛いこともあった…が,振り返ると今の私につながるような成果が多く出た,人生でも屈指の重要な時代だったように思う.

辞令が出た後,私は関東の海沿いの田舎町に住むことになった.関東地方で居住・長期滞在したことのある場所はそう多くはないものの,非常に風光明媚な土地で潤むような自然が多く残る場所であり,帰任でこの土地を離れる際には非常に寂しい思いをする場所になる.

部署には仲のいい同期も多く,全体的に若い人も多かったので,それなりに活気があったし華もあった.梅酒でつながった同期も私の移り住んだ近所に住んでいた.夜に電話をかけては駅前の飲み屋で飲んだりだとか,彼のアパートで鍋をしたりだとか,フェリー乗り場までワインをラッパ飲みしながら深夜の散歩をしたこともあった.

酔っ払いながら科学的問題を設定して高速に解くアルゴリズムはどういうものか議論をしたり(今思うと非常に拙い),酔っ払いながらこれからの自分たちの将来展望を語ったりして,僕たちはなんと無垢だったのかと驚いてしまう.

 

この時代には引き続き修学旅行が行われており,京都,福岡が非常に印象深く残っている.

 

京都の修学旅行は大変にぎやかなものであった.

このときは同期メンバーで毎晩集まって飲んでいた.京都駅で飲んだあと鴨川沿いをダッシュしてみたり,夜の円山公園を散歩したりした.

学会期間の終盤には彦根に宿を取り,駅前の寿司居酒屋で飲みながら各々合流したあと,スーパーで酒やツマミを買い込んで,安宿の一部屋でギュウギュウになりながら飲みあかした.特に仲の良い男4人で行ったが,気を遣わない雰囲気で非常に良かった.次の日は彦根や長浜で買い食いとかレンタサイクル借りたりとかして観光した.はしゃぎすぎて最後の方はみんなのテンションが落ちた.

その他,先述した大きな転換点につながる出会いがあり,過去の大阪,北海道修学旅行に続いて印象深いものであった.

 

福岡の修学旅行では直前に台風が上陸して飛行機が止まり,新幹線移動を強いられることになった.車内は人でギュウギュウで大変であった.新横浜から博多まで8時間以上かかり,移動中は基本的にデッキに立つ必要があった.

まあしかし福岡についてしまえば勝ったようなもので,前部署のメンバーで飲んだり,同期と飲んだりと非常に充実した(夜の)日々を過ごすことができた.

学会の終了に合わせて休みをとっていて,一路高速バスで鹿児島へ向かい,そこからフェリーで屋久島に渡った.20代最後の旅は結果として一人旅になった.色々な出会いやトラブルの多い(ある意味)賑やかな旅ではあったが,旅路に揉まれる中で印象的だったのは,「ああ,もう20代前半のようなキラキラしたことはないのだな」,という寂しさや諦めに似た思いだった.具体的に何が,と聞かれると窮してしまうが,言語化するとすれば,出会いに疲れてしまう自分がいただとか,かといって一人旅を純粋に楽しめない自分がいる矛盾だとか,そういう場面がたくさんあったように思う.

 

その他,種子島,新潟,仙台,サンフランシスコ,ニースなどに行く機会もあったが…ニース出張時には卒業旅行で一時滞在したミュンヘンに寄り,オクトーバフェスト会場にも行くことができたことがトピックか.

 

 

また出向部署では例年秋に業務をアピールするイベントが北関東が催されていた.大変に盛況なものであり,仲間内でも一種のお祭り騒ぎで非常に思い出深く,我々はこれを"文化祭"と呼んでいた.

秋の会場周辺の雰囲気は非常によく,休憩中に散歩をしてどんぐりを拾ったり,ホテル周辺の朱に色づいた街路樹をくぐり抜けながら夜の散歩をしてみたりした.

お客様相手に自分の成果をアピールすることはしんどくもあるのだが,関心を持ってもらったときには一種の承認欲求が満たされる喜びを得られ(もちろん逆の反応もあったが…),一日が終わったときの開放感とビールの旨さに代えられるものはなかった.

 

そして忘れられないのが伊豆での泊まり込み業務.通算で1ヶ月くらい滞在することになり,伊豆に土地的な愛着を持つようになった.学生時代,学会主催の合宿で滞在した場所に10年近くぶりに行き,懐かしい思いをした.こうやっていろいろなことが交差する齢になったのだ.

詳細は割愛するが,16:00や17:00に施設での業務を終えたあと(これも今思えば貴重な体験だった),関連会社の人とハッピーアワーを狙ってビールをしこたま煽った.宿も比較的良い旅館を選ぶことができたので,うまい魚介に舌鼓を打ちつつ日本酒を…といった夢のような日々を送ることができた.

ここまで時間的余裕があったのは下準備を入念に行ったためであるが,お手伝いいただいた関連会社の方には今でも頭が上がらない.またいつかみんなで伊豆旅行に行こう,と約束したのだが実現するのだろうか…

この一連の仕事を終えたあと,大阪と静岡に成果を報告に行く機会があった.会社を動かしているという実感もあったし,取り組む中で仲のいい戦友めいたものが関連会社に出来た.プレゼンが上手く行ったときには梅田で祝勝会をしたりだとか,なかなかに楽しく有意義だったように思う.

 

こうして3年ほどの出向期間を経て帰任を迎えることになった.送別会でもらった花束が立派なもので,抱えて電車で帰るのが少し恥ずかしかったが,それでもこういった形で気持ちを表してもらったことは学校卒業以来であり嬉しいことだった.コロナ禍ではこういったことも制限されるのかと思うと,少しでも早期の収束を願ってやまない.

 

 

●入社10年目前後の3年間

 

このあたりになると現在の状況に非常に近くなってくるものの,今振り返ればやはり現状とははっきり別の時代だといえる.

 

このあたりからは同期たちも家庭をもつようになり,かつての修学旅行の賑わいは少しずつ無くなっていった.同期の結婚式には何回か出席したが,そのときに限り同窓会の雰囲気で往時のように盛り上がる事ができた.みんなと別れた帰路には少し哀愁があったが…

 

この時代のハイライトはやはり社会人博士課程に入学したことだろうか.神奈川と京都を行き来する生活が,準備期間の半年間と在学期間の1年間,合計1.5年ほどの間続いた.リクルータ時代以来地元との接点が再びできたということで,気軽に実家に帰ったりだとか,友達と会って飲んだりだとか,そういうことが許されることになった.

部署にも一定の理解を得られ,交通費を一部支援してもらうことが出来た.少なくない学費を払わなければならない状況においては経済的に非常に救われることになり,今でも恩に感じている.

また指導いただいた先生にも大変にお世話になった.非常に多忙な方であったが,月に一度はマンツーマンで指導を頂いたし,短期間で学位が取得できるよう色々と慮っていただいたりもした.学位授与式には学科代表で授与を頂くまさに栄誉をいただくなど,本当に頭が上がらず,なにかお返しをできないか,強く心から思っている.

 

また,海外の大学と共同でプロジェクトを経験することができたことも思い出深い.今でも続いてはいるが,やはり昨今のコロナ禍では遠隔でのコミュニケーションにならざるを得ず,日本と相手側の国を行き来して観光や食事を交えながらプロジェクトを遂行するような,ダイナミックな活動はできなくなってしまった.

当時はカラオケで深夜で馬鹿騒ぎしたり,罰ゲームで唐辛子を丸かじりしたりそういうアホなことをした.偶然泊まった宿が売春宿だったり(ただ朝ごはんが異常にうまい),高速鉄道の指定席が取れずずっと上司と立ちながら移動したりもした.非常に足が疲れた記憶があるが,厳冬期の異国の車窓をぼんやり見ながら移動したことは映画的でもあった.

先生の行動も非常に突っ込みどころが多く.実験でサンプルを持ちながら国内を飛び回ったり(日本で言えば,東京→名古屋→金沢→新潟…といった距離の規模),実験後にめっちゃ辛いチゲ鍋屋に連れて行ってもらったり,地元の友人たちを●●に呼んだり,実家が経営しているお店に連れて行ってもらったりした.料理はどれも美味しかったが,何かの幼虫を出されたときには少し面を食らってしまった.

 

印象的な研修は1回だけあった.同期ではなく,全く面識のない関連会社の人たちとチームを組み,新サービスをコンペ形式で提案するというもの.①で述べた後期研修のキャンパスに何度か泊まり込み,夜中まで新サービス提案のためチーム作業をし,その後休憩室で缶ビールを持ち寄り朝まで飲んだ.

研修所以外では本来業務途中に裁量で作業をしてもよかったため,都内に散在しているメンバーの事業所を渡り歩くことも多く,少しだけ都心で働いている気分になれたのは良かった.品川には穴場の飲み屋がたくさんあり,そういう店で色々と教えてもらったりした.

メンバーとは事あるごとに思い出の品川とか都内各地で集まっていて,転勤になりそうだとか,会社辞めたいだとか,そういう話を忌憚なくすることが出来ており,こういう関係が続けばいいなと願っている.数年後には私が研修のメンター側に立つことになるのだが…それは別の話.

 

 

そしてなんやかんやあって今につながる.少しずつ無茶をした場合に寛容に受け取られることもなくなってきたのだな,と思う.やっぱり時代は別のフェーズに入っているよね.

だからこそ,特に20代くらいまでのあの無茶苦茶な空気,研修で何をしてもある程度許された最後の時代,がむしゃらで,純粋で,不器用で,一生懸命だった同期に囲まれた恵まれし時代.

そういうときはもう帰ってこないのだ,と寂しく思うと同時に,不動の過去,もう変わることのない思い出が,古い友人のような優しさで私を後ろから支えてくれることに,誇りにも似た安寧を覚えるのです.