淡路島 -403回記念更新に代えて-

mojataku2009-03-16

さて、第四話。明日は最終回です。
第一話:http://d.hatena.ne.jp/mojataku/20090313
第二話:http://d.hatena.ne.jp/mojataku/20090314
第三話:http://d.hatena.ne.jp/mojataku/20090315
 
結果を先に言うと、
大学に入ってから四万十川を訪れるまでには一年半を要した。
勢いで自転車部にも入ったが、
主務となった際の事務手続きを淡々とこなしただけで、
合宿ツーリングなどに参加することはなかった。
とにかく、群れるのが嫌いだったためだ。
 
おそらくあの場に溶け込むことが出来れば一人旅よりも楽しいのだろう。
思い出も共有できて、10年後に同窓会をやったとしても、
その時の話題以外に肴はいらないほどなんだろう。
でも、僕は群れることを極端に嫌悪していたし、今でも避けるようにしている。
おそらく周りに合わせることに疲れる人なんだと思う。
 
大学に入学して初めての夏休み、
今度は淡路島を一周することを思い立った。
相方は、あの源流行で挫折した、幼馴染。
この旅のために今でも現役の旅行用クロスバイクを購入した。
出発1週間前からは淀川の河川敷で走行練習をして、
期末テスト後の体力減弱を回復させた。
琵琶湖での反省から荷物もリアキャリアに乗せるようにし、
また、ラーメンを作ったり米が炊けるようにと携帯用のガスコンロも購入した。
この時の旅のスタイルが7年経った今でもずっと続いているという意味では、
一つの新しい時代が幕を開けた瞬間だった、といっても大げさではないと思う。
 
凄く楽しかった。
明石港からたこフェリーで淡路島に渡るときなんかはワクワクしたし、
キャンプ場で夕日を眺めながらうどんをゆでて食べたことも、
家族たちと合流して酒を飲んだこともいい思い出になった。
 
しかし、何かが決定的に足りなかった。
なぜ十分な時間があるのに四国に渡らなかったのか。その悔いであった。
それは淡路島の南端、鳴門海峡に到達した時に強く思った。
あの向こうに見える土地が四国の徳島で、
その隣の県には夢にまで見た四万十川があるのに、と思った。
 
実はその夏は相方の休みが合わなかったのである。
四万十川へチャリで行くのには5日はかかりそうだ。
往復を考えても10日。
しかし相方はそんなに時間を取れない…。
当時僕は群れるのは嫌いではあったが、一人で旅をすることを極端に恐れていた。
要するにまだ僕の旅の車輪にブレーキがかかっていて、
そのブレーキが外れるのは旅の相方がいたときのみだった。
今ではその限定は解除されているが、ブレーキを解除するまでにさらに3年、
北海道チャリ一周を強行するその瞬間までかかることになる。
この話は別に長い長いエピソードがあり、話がそれるのでここでは割愛する。
 
次の夏、いよいよ四国一周計画が現実味を帯びてきて、
お互いの予定も合い、実際に実行することになった。
そりゃもう一カ月以上前から興奮して、
ツーリングマップルを食い入るように読んでは情景を妄想した。
特に四万十川のページは念入りに読んだ。
嬉しくて、一週間前から荷物の準備をしていた。
中3の夏の夜から丸5年。
色々遠回りをしたけれど、挫折することなくここまで来ることができた。
それはその時の自分にとって、納得のいく、素晴らしい、満ち足りた時代だった。
 
時が満ちた2003年8月3日、旅立ちの朝がやってきた。
 
つづく