月下の泡盛

最近読んだ本に,「年を取ると,微笑みにも似た感情で思い出せるような思い出はそう多くなくなってくる」という文があった.ああ,その通りだな,と思った.

 

むかーし10年よりはるかに昔,僕が学生だった頃,西宮に住んでいる友人と梅田で待ち合わせてビアガに行ったことがある.当時お互い学生で,その年沖縄に一人旅したときに同じ宿で出会った.偶然,二人とも関西出身だったため意気投合して仲良くなり,旅から帰った後,なんとなく一緒に飲みに行くことになった.学校が終わって17:00頃ビッグマン前に集合し,大阪駅前第一ビル屋上の神仙閣へ行った.ここは夕方から入れて食べ飲み放題,しかも時間無制限(当時)で3,500円という太っ腹っぷり.

確かそれは天神祭あたりの蒸し暑い梅雨明けの夕方.不思議と大阪という街は,天神祭に近くなると,けだるいようでいて浮ついてもいるような微妙な空気が漂う.なんとなく,この時期から付き合い始めるカップルも増える.子供のころはちょうどこの時期が夏休みに入るタイミングでもあり,幼心ながら僕はこの空気感がとても好きだった.

僕らは足早にお店へ駆け込み,席が空いていることを確認すると,一等席の個室(もちろん野外だが4人ほど囲めるテーブルがあって,周りがスダレか何かで囲われている)へ向かい対面で座った.視界には梅田の摩天楼がうつり,ビルの窓に反射する夕日がまぶしい.注文したビールが通されると僕らはジョッキを鳴らし,目を細めて蒸し暑い空気と一緒にビールを一気飲みした.次の日も普通に大学に行く用事があったし,レポートやらデータ整理やら色々やるべきことはあった.明日のことを思うと不安はあったけれど,それほど深刻ではなかった.これから何が起こるのか全く読めなかったし,無事就職できるのだろうかとか,いや,そもそも卒業できるのかとか,はたまた結婚して子供なんて拵えることなんて叶うのだろうか,とか思うところはどこかにはあったが,何とかなるだろう,という鷹揚な雰囲気があった.これは,高校入学直後の初夏,ラジオで流れてきた青春を語った歌を聞いて感じ始めたのが始まりで,思えばあそこが青年期の起点だった.

明日だけじゃなく,一週間後も,一年後も,そのずっと先さえに対しても,鷹揚に思う気持ちはずっとそうだった.

 

うだうだとバカ話をしながらバイキングのメシをつまみ,蚊に刺されながらビールを思い出したように一気飲みしては枝豆の殻をお皿に放り込んでいると,22:00ごろビアガが閉まった.結局5時間ずっと飲み続けていたことになる.

僕らは友人の家に阪神電車で移動した.今思えばこの時点で相当飲んでいたのだと思う.友人の家は波止場沿いの団地だった.僕らはコンビニで酒を買い込み,釣竿(友人の趣味が釣りでたくさん釣竿があった)をもって波止場へ向かった.途中,運河沿いの植え込みの怪しげな草むらに寄った.大根と唐辛子,その他忘れたが数種類の野菜がたわわになっていた.友人が育てているものということだったが,明らかに畑ではない.まあ人を傷つけているわけではないし,大きく迷惑をかけているわけでもないので捕まりはしないだろうが,公共の土地での無許可の耕作は,今なら監視カメラで一発撤去だろう.2000年代半ばのことであり,これはずいぶん現代に近い感覚はあるが,思えばまだまだおおらかな時代だったのだ.

収穫中,近くに通行人が通りがかってめっちゃ見られる.「おい,mojataku,逃げるぞ!」と言って狭い路地に入り込んだ.僕は大根と泡盛の瓶と釣竿を抱えていた.路地をどう行ってどう抜けたのか覚えていない.しかし,酔いもすっかり冷めていたのだろう,あの時確かに見たオレンジ色のナトリウムランプに浮かんだ細く曲がりくねった倉庫街の路地を走った時,なぜか身震いするような安寧を覚えた.先が見えないどこに通じるか分からない暗い道を行く.今思えば逆説的にさえ思えるあの感情が,「自由」というものだった.僕は確かに自由だったのだ.

 

路地の先から潮の香りが漂ってきて,やがて僕らは視界の開けた波止場沿いに出た.一般の人がそうそうたどり着けるような場所ではなく(今思えば本当に入って良いエリアだったのか…),一晩中僕たちの貸し切りだった.空を見上げると月が浮かんでいる.暗闇で目が利かなかったが,嫋やかな波が寄せては返す音が岸壁の下からした.「おう,mojataku,危なかったな笑 お疲れ」.僕らは岸壁のそばに座り,おもむろに泡盛の瓶を開けて酒をラッパ飲みで流し込んだ.ラッパ飲みをすると空を見上げる格好になり,浮かぶ月が自然に目に入った.僕らは夜通し釣り糸を波止場に垂れ,大根と生唐辛子(アクセント用)をアテに,月を眺めながら泡盛を明け方までちびちび飲んだ.まるで世界には僕たちしかいないような気がした.風雅なのか野暮なのかよく分からない.今思えば酔ってよく海に落ちなかったものだ.

 

 

最近この出来事を思い出す機会があり,「ほんまあほやったなぁ」という微笑み,可笑しみを伴う思い出として僕の中にとどまっていることに気づいた.この後も梅田飲みは定例化したし,今でも釣りによく行くけれど,この時のことが強烈なのだ.

しかし今となって確実に言えるのだが,もう絶対にあんなことはできない.そういう気もならないし,もしやったとしても,あの時の心から揺さぶられるような,全身での昂りは得られないだろう.

そういう時代があったと笑えることに,今はただ,幸せを感じるのだ.